中国からの副首席の来日に関して
面会の日程で天皇の政治利用との批判がでた。
また亀井静香大臣が皇居移転を天皇陛下に進言したとかの
記事が最近出て・・・なにかと日本の最大のタブー・・・

ただ明治以前の天皇のことでは目くじらを立てないでくださいね

これは、おそらく歴史に詳しい人なら公言はしないかもしれないが
そうかもと思っていたり、感じたことのある問題・・・
私見と断った上でのエッセイです。
神代より日本の天皇では名前に「祟」のつく天皇は
祟神、祟峻、祟道、祟徳の4天皇が記録されている。
まず祟峻天皇
聖徳太子の時代、蘇我馬子が命じて東漢直駒(やまとのあやのあたいこま)の手により祟峻天皇を暗殺した。臣下により天皇が殺害されたのは、確定している例では唯一である。祟りがあっても全然不思議でない。
次に正式に即位はないが祟道天皇
平安京に遷都した桓武天皇の同母弟の早良親王です。早良親王は祟道天皇の異名を持ちます。早良親王は長岡京建都の途上の藤原種継暗殺事件で連座して淡路島に流される途中、絶食して亡くなります。
これにより早良親王の祟りが桓武天皇の周りでおこり、生涯にわたり桓武は祟りを恐れることとなります。
源平の時代の祟徳天皇
怨霊かと思えるような祟り、崇徳上皇は自分の舌を噛み切って、その血でせっかくの五つの写本全てに「日本国の大魔縁となり、皇を取って民とし民を皇となさん」「この経を魔道に回向(えこう)す」と書き込んだ。爪や髪を伸ばし続け、夜叉のような姿になり、後に生きながら天狗になった、とすら言われた。長寛2年8月26日(1164年9月14日)に讃岐で崩御する。一説には、三木近安によって暗殺されたともされる。遺骸を火葬にした際、その煙は都の方角にたなびいたと伝えられる。祟りも極まれり・・・

さて、祟神天皇ですが
神が名前につく天皇は意外に少なく神武、祟神、応神の3つ
私は文字どうり読ませていただいて解釈して、祟り神の天皇とすれば
日本の古代の神話でピッタリの大人物が一人、いらっしゃいました。
出雲大社の大国主のミコト、また別名大物主などとよばれ
「今年の漢字」の清水寺にも祭られている一角があります。
国譲りで自らの逆手の呪いをかけて、一族共に滅んだ大国主の命
今でも4(死)拍手で参拝する、怨霊(祟り)を封じ込めるために立てられた出雲大社
余りにも祟神天皇にピッタリ当てはまる・・・

祟神天皇が実在したらとすれば大国主の命でしょう


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